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では、12話はどうなのか?
- さて、ここからが私の12話の率直な感想です。
- 一見したところ、12話の表現に問題が有るようには感じませんでした。
むしろ、冒頭のキリヤマ隊長のセリフによって
「人類は核の恐ろしさを既に理解しており、少なくとも安全な運用が達成されている」という設定が見られ、
その運用に失敗したスペル星人との対比になっていると思われます。
- 12話問題で俗に言われる
「スペル星人の行為によって核の恐ろしさを伝えたかった」
というのは、ちょっと無理があると思われます。
どちらかというと、
「核の安全運用を達成できる人類への信頼、過去を貴重な経験にできる未来への信頼」
というテーマが正しいかと思います。
そして、最後のシーンでは
「宇宙人と聞けば敵、怪獣と言えば敵、という偏見ではなく、文明を持った生物が交流できる可能性」
というテーマを提示しています。
これは、当時の子供番組にありがちな「敵と味方」が判りやすいヒーロー番組に対しての挑戦的な言葉かもしれません。
侵略や敵対は、それぞれの側に切実な理由が存在しているということをあらためて提示していたのではないでしょうか?
- 「じゃ、12話は全然問題なかったというわけ?」
いいえ、そうは思いません。
- スペル星人のあの造形は、確かに被爆された方にとって気持ちの良い物ではなかったと思います。
そして、その造形は当然ながら発注者の「自分の星で被爆した星人」というところからストレートにできてしまった物だと思いますし、
だからこそ雑誌に於いても「ひばく星人」となってしまったのだと思います。
その1つ1つはたわいのない物だったのかもしれませんが、
つなぎ合わせていくと「被爆した人間」を想像させるにさほど努力はいらない物だったとも言えるでしょう。
これらは、大変微妙な部分で、気にならない人もいるだろうしその逆の人もいる、、、とすれば、全ての擬人化表現は難しいのか?とすらなってきます。
- が、まずは「不快に思う人達はいないだろう」とは決して言えないのです。
これは、絶対に忘れてはいけないです。
#google(ひばく星人)
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初版日時: 2007-03-27 (火) 13:47:00
最終更新: 2007-03-27 (火) 13:47:00 (JST) (6479d) by ゲスト