昭和セブンの再確認
- その映像は、お世辞にも綺麗な物ではありませんでした。
しかし、ブラウン管に展開された映像・音声はまさしく昭和セブンそのものだったのです。
実は、あるシーンには12話だけの独特な表現があります。その違和感は確かにあったのですが、全体を見た場合にやはり昭和セブンの「匂い」がしたのです。
- 昭和セブンと平成セブンについての相違点をちょっとだけ書いておきます。
昭和のセブンは、ウルトラセブンが主役ではないと思うのです。モロボシ・ダンこそが主役です。
このことは、設定などから考えると明らかに矛盾していることです。
(ウルトラセブンが薩摩次郎をコピーし、地球に存在するときの仮の名前がモロボシ・ダンであるから)
しかし、物語の描写は明らかにウルトラセブンの「能力を持った」モロボシ・ダンの苦悩です。
最終回も、キリヤマ隊長・アンヌを含め各隊員たちは、セブンに対して「ダン、がんばれ」と声をかけています。
この表現が好き嫌いという問題ではなく、この視点の違い(というか、満田監督の演出意図の違い)で、はっきりと判ると思います。
- 12話においても、ラストシーンでダンの心の声が聞かれます。
これは、当然「ウルトラセブン」としての判断・見解なのですが、どう見てもセブンの能力を持ってしまったダン自身の言葉として聞こえます。
また、それが「セブンの声」としてきこえるのであれば、最終話の各隊員の叫びは、全くの勘違いとしか理解できなくなってしまいます。
- しかし、平成セブンでのモロボシ・ダンはウルトラセブンが変身した姿としてのみ登場しています。
地球人としてセブンの能力をどう使ったらいいかを苦悩するモロボシ・ダンとしては描かれていません。
あくまでも、セブンの心情を代弁するダンとして描かれています。
だから、主役はセブンであるので、カザモリ隊員がセブンに変身することも許されています。
この違いは大変大きいです。
- このように、12話を見ることによって、それまで「自分の思いこみで昭和セブンを神格化してしまって、新しい物を受け付けなくなっている」かもしれない、という自分自身に対する疑問を打ち消すことができたのです。
そして、これらのダンの物語、後述する理由から12話はただ1つのウルトラセブンのお話しではない、と感じたのです。
Last-modified: 2007-03-27 (火) 13:47:00 (JST) (6480d) by ゲスト