マシン[2]を修復してからは、不思議と心配な気持ちは消えていた。
万全な状態ではないし、どちらかといえばいつ壊れて止まってしまってもおかしくない状態なのにである。
ナイトセッションに入り、レースはトップ争いが熾烈な状態になってきたようだ。
しかし、各チームも最後のチェッカーのために各々の戦いを続けている。ウチのチームもそうなのだ。
考えてみると、今年の戦いは、去年のレースよりも充実していただろう。去年は、マシン[2]の状態がどうしようもなく、最後のセッションで雨が降ったから見せ場があっただけで、それ以外は「ただ単に参加して走行しているだけ」であった。それが今年は違う。チーム全員が、マシン[2]を「最後まで走らせる」ために頑張ったのである。中途半端な順位なんか、そこには必要なかった。
最後のドライ[5]ブになった。残りのガソリン量をチェックして、エンジンをスタートさせコースインする。
毎年のことだが、この最後のセッションはいろいろな想いがこみあげてくる。
初めての試みだったKT100の参加のために、いろいろなテストをした。そして、たくさんの人に協力をしてもらった。YAMAHA[6]やSUGOはもちろんのこと、KRS-DAIの我妻さん、RT-ANNYの石山さん、そして実際に走らせてくれた田中監督。SUGOオフィシャルチームで参加してくれたたくさんの人達。RQの菊地あおいさんは、最後のチェッカーを受けたいと言い、この暗いコンディションでマシン[2]を操っている。
ウチのチームは、今回の決勝中2時間ほどマシン[2]をストップさせている。この間にやった作業は膨大である。
・キャブバラし2回
・フィルター交換
・ウェイト交換
・シリンダー・ピストン交換
・フレーム修理
こんな作業は、普通にやったら1日はかかってしまう大仕事だ。しかも、フレームはクラックではなく主要部分が完全に折れた状態からの修復である。これを全部バラバラに、たった合計2時間の中でやり遂げたチームは我ながら素晴らしいと思う。
そして、なによりも、今乗っているこのマシン[2]。
思えば94年に初優勝してから、何度も一緒に闘って優勝をさせてもらったマシン[2]なのである。総走行距離は8000kmにもなる。
さっきのピットでのエンジンスタートが、もう最後のスタートかも知れない。今日、ここでこのマシン[2]を降りたら、もう2度と一緒に走らないかも知れない。良く戦ってきた。ウチのチーム監督と私の思い出がこのマシン[2]にはたくさんある。
心の底から、お疲れさまとねぎらってやりたい。
チーム監督から、あと1周のサインが出ている。
もう、このマシン[2]で、このコースを走ることはないかも知れない。1つ1つのコーナーを万感の想いでクリアしていく。
チェッカーが見えた。
当たり前のことだが、このマシン[2]が「生きている」状態でチェッカーを受けられるのだ。
参加した全車両がチェッカーを受けている。
直前になってエンジンに火を入れたGX200もKT100も、全車両がチェッカーを受けられたのだ。
マシン[2]のホーンが甲高くSUGOに響いた。ピットの歓声と拍手も耳に届いた。
ピットレーンから車両保管所に来るまで、私はエンジンをちょっと高回転に吹かしてみた。
まだ生きていることを確認するかのように。
車両保管所に来ても、しばらくエンジンキーに手を伸ばせなかった。
止めたくなかったのである。
意を決して、一旦一際大きくエンジンを煽り、スイッチを切った。
そして、やっとの思いでマシン[2]から離れた。
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