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はじめに :: 80's DISCO!!!!

xpwiki:Q!!Maru_2005_8時間耐久レース/レースリポート

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  • はじめに
  • 10月30日
  • 11月3日
  • 11月4日
  • 11月5日
  • 11月6日(当日)
  • 11月6日(回想)

はじめに anchor.png[1]

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11月6日(回想) anchor.png[13]

Q!!Maru_2005_8時間耐久レース/レースリポート/そしてまたいつもの日々へ[14]

今年で、Q!!Maru Cup は9年目になっていた。
私と言えば、個人的に辛いことが多く、今回のレースに対しては
既に義務感しかなくなっていたのは事実である。

いつになっても、ただの参加者にはなれない。
なったらなったで文句を言うのかも知れないが、こと今年に関しては
参加するのすら辛い精神状態だった。

この状況でレースに出てしまうと、負けたときのショックは大きく後悔ばかりが残ってしまう。
自分を責めるしかなくなる。

実は、レース序盤はまさにその通りの状況になってしまっていた。
なぜ無理をしてレースに出ているんだろう?
監督もドライバー[15]もヘルパーも、信じてくれていたはずなのに、このマシン[16]の出来は何だ?
よほどの奇跡か天変地異でも起きない限り、表彰台すらあり得ない。
マシン[16]はみんなで作った物ではなく、私しか弄っていない。
私の責任なのだ。
そして、自分のドライ[17]ブの不甲斐なさも手伝って、かなりダメージを受けていた。

そこに雨のドライ[17]ブのチャンスが巡ってきた。
立ち直るのには、このチャンスしかない。
来年まで、この精神状態でいるわけにはいかない。
でも、それでダメだったらもう何もない。そうしたら、何もかもやめよう。
最後の博打である。

冷静に戦略として考えれば、早めにタイアを交換するリスクを選ぶべきだったし
再び岩崎を走らせる手もあったはずだ。
でも、その最後の最後の戦いに臨みたいという意識もあったのだろう。

そして、そのステージではずかしくないドライ[17]ブができた。
ドライバー[15]として、まだ魅せることができた。
この雨と、走らせてくれたチームと・・・全てに感謝の気持ちになった。

レースの結果は、ただの4位。
しかし、今年もそこにはいくつもの「たら」「れば」がある。
何度も言うことだが、結果に「たられば」は無いと皆が言う。
私は断じて違うと思っている。
「たられば」で評価をするのは愚かだが、「たられば」すらない状態だったら
その次に何が待っているというのだろう?

来年10周年を迎えるQ!!Maru_Cup[18]
さて、どうしようか?

(もう少し続く予定です(^^;)


Last-modified: 2007-03-27 (火) 13:46:33 (JST) (6479d) by ゲスト