- 概要
- 所在地
- 歴史
- 戦績
- 1994年
- 1995年
- 1996年
- 1997年
- 1998年
- 1999年
- 2000年
- 2001年
- 2002年
- 2003年
- 2004年
- Tackmix のマシン[8]オーナー KUMI のレースチーム
- 中山のとある場所で、大恐竜展をやっていた。
それを見に行ったTackmixと彼女(妻の事ね)は、隣のスペースでなにやら動いている物を見つける。
それがレンタルカートだった。
(ちなみに、S藤S也も実はここの出身)
- フォーミュランド仙台(現在は中山の大観音前の駐車場)でレンタルカートに乗り始める。
- 1994年
- 1995年
- 1996年
- 1998年
- 2000年
- 2002年
- SUGO SL第1戦 SSO-F 優勝
- SL全国大会出場
- Q!!MaruCUP in SUGO 8耐で優勝
- フォーミュランド仙台
- FK9ノーマルスプリント6戦中3勝(シリーズ2位)
- FK9耐久レース2戦参戦最高位3位
- フォーミュランド仙台
- FK9エキスパートスプリント6戦6勝(シリーズ1位)
- FK94時間耐久レース 優勝
- 10月27日フォーミュランド仙台閉鎖で活動場所を失う
- プロフィール
- 戦績
- 名前の由来
- Tackmixとの関わり
- フォーミュランド仙台でのメンバーレースのグリッド紹介の際、それっぽい素振りをしていたので、Tackmixがすかさず「尊師、○○○○選手!」と呼んだのが最初。
Tackmixとの関わり [41]
- 1995年の開幕戦直前に仙台に転勤してきた尊師は、それまでラー飯能でFK-9のレースに出ていた。初めて走る尊師のラップタイムは驚異的で、33秒台が通常と思われていたフォーミュランド仙台で32秒前半のラップタイムで走り出した。
- Tackmixは、非常に悔しがり、谷内勝(当時のフォーミュランド仙台社員)に、フルオーバーホールを依頼した。この時、殆どのパーツを新品にしたのだが、唯一入荷しなかった部品がプーリー[42](プライマリスライディングシーブ)だった。組み上がったマシン[8]は、それまでと変わらない33秒台しか出ず、疑念はそのプーリー[42]の状態にのみ焦点が当たったのである。
- たまたま、尊師の工具箱を何気なく覗くと、新品のプーリー[42]があった。彼は、それを予備として持っていたのである。事情を話して分けてもらうことにした。
- この時、尊師は「自分も1秒はタイムが上がるはずだから31秒台か、まぁ、むこうは32秒台だろう」と思っていたそうである。
- ポールポジションからスタートしたTackmixに、尊師は驚くべきところで仕掛けてきた。それまで、タイムアップの為だけに走っていたTackmixは、2つ目のヘアピンのインを守っていなかったのである。予選、決勝と激戦となったが、このレースがTackmixの初優勝のレースとなった。
- フォーミュランド仙台を離れた後、尊師はSUGOでのSLシリーズに出場するが、耐久レースでは殆ど一緒に走っていた。茂木での無限プレイングカートの大会にも2度ほど一緒に参加した。
- 尊師の所属チームが無くなったときに、彼は自らエントラントとなりレースを戦った。それが、COMTECH[4]である。そして、1年後、たまたま一緒に食事をしていた時に、彼は「2週間後のSLレース開幕戦に出てみない?」と誘ってきた。断る理由はなかった。そして、SL初優勝。しかし、その後のTackmixのレース成績は良いものではなかった。
- Q!!Maruの耐久では、ほとんど尊師と組み、2002年の8耐も彼と一緒に戦い優勝した。